大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和29年(う)312号 判決

控訴人 被告人 水野[金白]直

弁護人 内藤三郎

検察官 浜田善次郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役参月に処する。

但し本裁判確定の日から、参年間、右刑の執行を猶予する。

押収してある証第一号の千円札十枚の内一枚(DA.190621.A)を除いた九枚はこれを没収し、金千円を被告人から追徴する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の理由は、弁護人内藤三郎提出の控訴趣意書を引用するがその論旨第一、第二点の要旨は、何れも原判決には、事実誤認があると謂うにある。

よつて案ずるに、原判決挙示の証拠によれば、原判決の犯罪事実は優にこれを認めることができる。即ち被告人が岩沢金重から原判示の趣旨の下に金一万円の供与を受けた事実については、被告人の検察官に対する供述調書によれば、昭和二十七年三月頃、岩沢金重は、候補者平井章と共に被告人を訪問し、被告人に平井を紹介し、将来応援を頼む趣旨の依頼を為し、更に同年八月十日頃、岩沢は他三名と共に、被告人が勤めていた居村の農業協同組合に、被告人を訪問し、雑談の末、平井の応援を依頼したところ、被告人は、選挙管理委員だから、表立つた応援はできないが、精神的に応援する旨答えて居たものであつて、平井の立候補が確実になるや、同年九月(供述調書には八日とあるが、後記の通り四日と認定する)早朝岩沢が被告人方を訪問し、金一万円を被告人に交付しようとしたところ、被告人は、岩沢が平井候補の選挙運動をしていたので、投票や運動を頼みに来たものと思い、右の金を岩沢に返そうとしたが、岩沢が置いて行つたので、被告人は、右の趣旨を知つていながら、他の買収に使うつもりもなく、それかといつて、平井候補の方に返せば、先方の気分をこわすと思い、受取つておいて、神社の寄附とか公共事業等に適当な時機に寄附しようと思い、自宅の机の抽斗の中に入れて持つていたけれども、後になり、農協の後藤常春に保管して貰つた旨の供述記載があり、岩沢金重の検察官に対する第一回供述調書謄本によれば、被告人の右供述を裏付けるに足る供述記載があり原審証人後藤常春の証言によれば、被告人は、岩沢から金一万円を受取つた後、これを金包として、後藤に保管を頼み、昭和二十七年十一月五日頃、司法警察職員の取調により、差出し、押収されたことが認められ、原審証人岩沢金重、同森寿郎の各証言を綜合すれば、岩沢や森は、前記被告人の供述調書の通り、被告人に対し平井候補の応援を依頼したことがあり、岩沢が、金一万円を被告人方に持参し、これを被告人の面前において来たことが認められる。而して証人岩沢金重の証言によれば、岩沢が被告人方に金一万円を持参したのは、昭和二十七年九月四日の午前六時頃であつたことが認められる。更に日本銀行名古屋支店横山三郎の回答書によれば、被告人が岩沢から受取つて保管していたと称する金一万円は、千円札十枚で、内一枚は、昭和二十七年九月十九日発行のものであることが認められるから、被告人は、岩沢から受取つた金一万円をそつくりそのまま保管していたわけでなく、少くとも、千円は他に費消し、別の千円札で補填していたことが認められる。右の各証拠によれば、被告人は、岩沢金重が被告人方に置いていた金一万円を領得する意思なく、返還する意思で保管していたものであるとは、到底認められない。即ち真に返還する意思で、包紙に入れ、保管する積りならば、一部でも費消するのは、横領罪が成立するか否かは別としても、通常のことではないし、又直ちに返還しないで、司法警察職員の取調べがあるまで約二箇月も放置することは、被告人の弁解があるとしても、この弁解は納得し難いものであるから、被告人は、岩沢から金一万円の供与を受けたものと認定することができる。又金一万円の趣旨が原判示の通りであることは、前掲各証拠によつて明らかであり、被告人が内心平井候補を応援する意思がなくても、右の趣旨で供与されるものであることを知りながら、これを受けるのは、考えられないことではないし、又経験法則に反するものではない。被告人が平井候補の選挙運動員であつた犬飼久義、岩沢金重や平井候補と政敵関係にあつたとか協同し得ない因縁があつて、これを岩沢や犬飼の方で知つていたことを認めるに足る証拠はない。むしろ、犬飼や岩沢は、被告人が居村の農業協同組合の専務理事を勤め、地方の有力者と目されていたので、平井のため、選挙に応援してもらいたいと依頼していたことが認められるので、犬飼や岩沢が、被告人に原判示の趣旨の金一万円を供与するのは、不自然な行為でなく、被告人が平井のため選挙運動を為す意思が全然なくても、かかる趣旨で供与される金員であることを認識しながら、これを受領することも考えられることであつて、本件は、正にかかる事案であると謂うことができる。要するに原判決には、事実誤認なく、論旨は、理由がない。

次に職権で、原判決が被告人から金一万円を追徴した点の適否を案ずるに、被告人が、原判示の通り供与を受けた現金一万円は、公職選挙法第二百二十四条により、没収すべきものであり、若しこれが没収を為すことができないときに限り、その価額を追徴すべきものである。而して本件においては、右現金一万円は、証第一号の千円札十枚であるとして押収してあるから、若しこれが、被告人が供与を受けたものと同一のものであれば、当然没収し得るわけである。被告人は、原審公判廷における供述及び検察官に対する供述調書等によれば、右の証第一号の現金が原判示の岩沢金重から渡されたものであると主張しているが、前記の通り、日本銀行名古屋支店横山三郎の千円券の発行日に関する回報の件と題する書面によれば、右現金一万円の内千円札一枚(DA.190621.A)は、昭和二十七年九月十九日発行のものであることが明らかであるから、この千円札一枚だけは、被告人が供与を受けた以後に発行せられたものである。従つて、被告人は、現金一万円の供与を受けた後、千円だけ費消し、別の千円札一枚で、これを補充したものであると推定することができる。果して然らば、原審としては、右千円札一枚は、没収することができないから、千円を追徴し、残りの千円札九枚即ち現金九千円を没収しなければならなかつたのである。然るに原判決が現金一万円全部を追徴したのは、公職選挙法第二百二十四条の解釈適用を誤つたもので、この法令違反は、判決に影響することが明らかであるから、この点で、原判決は、破棄を免れない。

よつて当審で後記の如く、破棄自判するに当り、原判決の金一万円の追徴を変更して、九千円についてはこれを没収し、千円については追徴すると言渡すことが、不利益変更禁止の規定に反するかどうかについて検討することが必要となつてくる。この点について、昭和十二年十二月十四日の大審院判決(大審院判例集十六巻一五九七頁)によれば、被告人のみの控訴の場合、第一審が追徴を言渡した金員の内一部を没収に変更するのは、不利益変更禁止の原則に違反するとしている。刑法第九条によれば、没収は、附加刑とし、追徴を刑としていないので、この規定を形式的に見れば、没収は刑であつて、追徴は刑でないから、控訴審で、追徴を没収に変更すると新たな刑を附加したことになり、被告人にとつて不利益になるように見受けられるが、そもそも、没収は、実質的に見れば、他の刑と著しく異り、保護処分的な性格を帯びているものと謂うことができる。このことは、刑法第十九条第二項の但書によれば、犯人以外の者に属する場合でも没収し得る場合があり、偽造、変造の文書は、何人の所有にも属しないものとして没収し得るとされている点からも窺い知ることができる。又追徴し得る場合を規定している各規定を見るに、没収できないときは、その価額を追徴するとあつて、その規定の趣旨から没収と追徴とは、実質的に見て、その性質並に被告人に与える苦痛において、同種同等のものとしているものと解すべきである。殊に没収すべきものが金銭であるときは、没収と追徴とが被告人に与える財産上の苦痛において、全く異るところがない。而して、没収と追徴とは、執行の上においても、消滅時効の点についても、差異はなく、むしろ被告人にとつては、執行の手続上においては、没収の方が有利な場合が多い。即ち没収の執行については、検察官は被告人を呼び出すことなく書面上で手続を為し得るが、追徴の場合は、被告人の出頭を求めて、金員の納付の手続をさせねばならないので、被告人としては、検察庁に出頭したり、納付すべき金員を調達する煩雑さがある。以上何れの面から見るも、追徴を没収に変更することが被告人にとつて不利益となる場合を発見することができない。従つて、前記大審院判決は、刑法第九条の規定を形式的に解し、没収と追徴とに差異を認めた欠点があつて賛同し難い。当審においては、後記の如く、現金一万円の内九千円を没収し、千円を追徴すると原判決を変更しても、刑事訴訟法第四百二条に違反しないと解する。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十条により、原判決を破棄し、同法第四百条但書により、次の通り判決する。犯罪事実並に証拠の標目は、原判決を引用する。

法律に照すに、被告人の所為は、公職選挙法第二百二十一条第一項第四号第一号第二項罰金等臨時措置法第二条に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で、被告人を懲役三月に処するが、情状刑の執行を猶予するを相当と認め、刑法第二十五条により、本裁判確定の日から、三年間右刑の執行を猶予するが、被告人が収受した現金一万円(証第一号)は、公職選挙法第二百二十四条により、千円札一枚(DA.190621.A)を除き、その余の千円札九枚はこれを没収し、千円を追徴することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条により、全部被告人に負担させる。

よつて主文の通り、判決する。

(裁判長判事 高城運七 判事 滝川重郎 判事 赤間鎮雄)

弁護人内藤三郎、同青木紹実の控訴趣意

原審の判決は「現金一万円の供与を受けた」事実が存在しないにも拘らず、これを誤認して、恰もこれが存在するものとして、判断したものであるから、原判決を取消し、無罪の判決を求めたい。

第一点被告人には、宿命的に、平井章、犬飼久義、岩沢金重に対しては、協同し得ない因縁がある。原審は、この大前提を看過して居る。一、被告人は、昭和八年一月、現役兵として、入営後は、昭和二十二年八月十五日、帰郷する迄、満十四ケ年七ケ月間の長期軍隊生活をして居る。それに依つて、元陸軍少尉、正八位勲六等、功六級に叙せられた肩書さえ持つて居る。これは被告人は「硬直の士」であることを、立証するに十分であろう。二、被告人は、当時選挙管理委員であつた。従つて、法上、選挙運動にたずさわることは許されない。通常人には、そう言う場合は、表と裏を上手に使い分けるかも知れない。ところが、被告人は硬直そのものの士であつて、そうした使い分けの出来ない性格である。これは、前述の経歴が裏付するであろう。従つて、それを取巻く連中から誘があつても、それに応ずる筈がない。三、平井章の選挙運動の総元締をしている犬飼久義とは、謂わば政敵の間柄である。即ち、前回の県会議員に、春日村から小川義夫が立候補した。被告人は小川義夫とは、小学校時代からの友達であつたので、被告人は小川義夫の為に、春日村の総元締をやつた。ところが、隣村の山田村から、犬飼久義が県会議員に立候補した。これは小川義夫にとつて、痛手であることは勿論、春日村の総元締をやつて居る被告人にとつて一番痛手であつた。被告人は、これがために小川義夫が落選したのは、犬飼久義のためだと思つておる。犬飼久義とは、こうした間柄であるのであるから、被告人の如き硬直の士は、犬飼久義の申出に応ずる筈がない。四、岩沢金重は、力が少し足らないと、被告人は思つて居る。従つて被告人は、岩沢金重を問題にして居なかつたし、又相手にもして居なかつた。だから、岩沢金重が差置いて行つた金についても、差出人が犬飼久義である限り、犬飼久義に直接返すべきだと考えたのも、彼被告人としては、尤もなことであつた。以上の様に、被告人には、平井章、犬飼久義、岩沢金重等が、如何様申出ても、その申出には応ぜられない宿命的な性格そのものが、存在するのである。原審が「供与を受け」た事実を認定する限り、「供与を受け」られない障碍そのものを、打ち破る事実を認定しなければならない。原審がそうした事実を認定してないのは、この大前提を看過する不当な判決と謂わざるを得ない。

第二点本件は、岩沢金重が、被告人に対して「供与の申込」をしただけの事実であるのに、これを誤認して「供与を受けた」事実と認定したのは、違法である。一、「供与」罪と「供与の申込」罪とは、重大なる差違がある。供与罪は、供与の申込に対し、之を承諾することに依つて成立する。岩沢金重が、金一万円の金員を、被告人方に持参し、之を縁側の古本の下に差置いた時の状態では、未だ「供与の申込」に過ぎない。岩沢金重としては、単に、一万円の金員を、被告人方に持参すればよい。被告人が、その金員の趣旨を了承して受取つて貰えば、本来の役目を果したのであるから、望外の大成功である。被告人が、受領(貰い受ける)を拒絶しても、被告人の支配範囲内に差置いて置けば、その後は、被告人と犬飼久義との関係であるから岩沢金重としては、持参(供与の申込)と云う役目を、果したのである。二、公訴事実は、昭和二十七年九月八日の午前六時頃の事実であるのに、判決に依る犯罪事実は、これと全く異る日時である昭和二十七年九月四日の午前六時頃の事実である。従つて公訴事実と全く異なる事実を誤つて、公訴事実なりと認定したのである。三、「供与」罪の成立には、被告人に於て「貰い受けた」(昭和二十四年(れ)第二一五号、昭和二十四年七月十六日判決)事実が、犯罪成立日に、実在しなければならぬ、之に対しては原審に於て昭和二十八年十一月七日附を以つて弁護人内藤三郎が提出した弁論要旨中第二項以下第六項迄の陳述を、以下の陳述に対して反しない部分を、茲に採用する。尚、被告人は、自己保管中の、犬飼久義所有の一万円の金員の内、千円について、擅に、自己の生活の用に託したのは、横領と判断すべきである。但し、被告人の生活、資産並に保管物件が、完全なる代替性を有することに依り、横領罪を構成しないまでのことである。この千円札を使用した事実を執つて以つて、「貰い受けた」事実と認定したのは、前述の大前提を看過したことに、起因するものであつて、本件の事実誤認中最雄たるものである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例